輝く人々   金原 兼雄 <第1回
金原 兼雄
大正15年
(1926年)
7月9日生
(77歳)
昭和56年33年勤めた新日本製鉄(株)を定年退職し帰郷。

郷土史研究活動主要事項概要
昭和58年(1981)4月
神峰大学(生涯学習講座)郷土研究会に入会
昭和59年(1984)12月
県、町無記録の塚崎古墳(6世紀後半築造の横穴石室墳)発見紹介
平成2年(1990)3月
宝篋印塔発掘復元(室町時代・大崎上島唯一最古)
平成3年(1991)8月
開館(歴史民族資料館の建設推進と指導・展示品の収集)

刊行物
●ふる里の民話(平成2年・1990)2月
●ふる里の伝承(平成3年・1991)3月
●続ふる里の伝承(平成9年・1997)10月
●ふる里の伝承(巻・3)発刊準備中

清光寺の歴史
本尊…釈迦牟尼仏 行基作像の聖観音菩薩は奥院に奉安し秘仏とされている。
由緒…開基については、不明である。往古は天台宗で、瑞鳳山徳隣寺寂明上人の道場であったと伝えられ、兵乱の為に焼失したが、本尊聖観音は難をのがれ今日に至っているという。永らく荒れていたが、予州今治大仙寺の潔山和尚が、錫を止めた大永年中、山号を『月桂山』、寺号を『清光寺』と命名。天文二十二年(1553年)秋、潔山和尚は檀家久保兵部等の協力を得て、堂宇を再建した。慶長七年(1602年)潔山和尚入滅。寛永三年(1750年)得州和尚により、檀徒総代・田坂弥平太らの協力を得て本堂を再建。宝暦五年(1755年)、山門を建て替えるなどして隆盛となった。(注:正徳調書によると、清光寺の前身・瑞鳳山徳隣寺は天台宗にて、その本山が九瑠間寺であったとの記載が見られる。
今後清光寺の歴史として随時載せていきますので、ご期待ください

 慈覚大師の足跡と仏の峠地蔵菩薩像(第2回)※平成17年11月23日更新
 この度、金原兼雄さんのご協力で平成17年7月23日の「修復法要」を勤めました「仏の峠地蔵菩薩」に関する論文を作成していただきました。バインダ4.pdf へのリンク
 ここに深く感謝の意を表しますと共に是非ご一読下さい。清光寺住職合掌
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